ODAWARA TAKESHI

About me

01 少年時代

幼少の頃から物作りに必要な発想(アイディア)、表現(図にする)、技術(作る)を、日常の遊びを通して学んでいた。物のない時代に生まれ、父から「これで遊べ」と与えられた2本の切り出しナイフで欲しいものはなんでも自分で作って遊んでいた。母と近くの山へ出かけ絵を描いたりデッサンを楽しみ、父の製図のトレースを手伝い、小学生で三面図の書き方をマスターした。美しい自然の中で絵を描く楽しみと、夢をつくる思いを膨らませていた。

02 一冊の本

12歳頃、工業デザイナーレーモンド・ローウィ著書「口紅から機関車まで」と出会い、この本がそれまでの自身と合致しデザイナーを志すきっかけとなる。作った物を一方的に押売りするのではなく、美しさと共に使う側の立場から見た機能性を持たせる、「機能美」に強く惹かれる。ローウィのタバコ「Peace」のパッケージデザイン料は当時としては理解できない価格で、売れる商品を作り産業を興すことこそがデザイナーだと衝撃を受け、デザイナーになるための学校に行くのではなく弟子入りの道、技術の道を選ぶ。

03 出逢い~三輪 磯松~

木工芸名人 三輪 磯松氏に弟子入りし、技、道具の手入れについてや、最も木工職人にとって重要な「素材の性質を知る」という物作りの哲学を学ぶ。見習い時代は、磯松氏の魔法のような驚きの技、朝晩の掃除から礼儀作法に至るまで、とにかく夢中で吸収した。そして磯松氏の客は皆一流であり、デザイナーにとって接客のスキルが如何に大切かを実感する。そこで培った基礎技術は後のものづくり、デザインにおいて重要な役割を果たすことになる。

04 出逢い~吉村 順三~

建築家 吉村 順三氏の設計協力で学び、「椅子のデザインの重要性を大切にしたフォルムは座り心地、機能から生まれる」という設計哲学と美の感性に感動する。そして、「椅子と建築が一体となって融合している事が重要」だという椅子の配置から作られる空間造形が建築にいかに大きな影響を与えているかを、設計を通じて教えられる。さらに、吉村の施主とのコミュニケーション能力、そして磯松氏のもとで職人の基礎を学んできた技術力を実践し、椅子をデザインすることで、デザイナーと職人との本来の理想である関係を築いていく。

05 出逢い~塚原 博~

日本の戦後復興の電気産業の発展を指導。さらに世界企業との交流を、日本の経済発展に貢献された経営哲学者 塚原 博氏との出会い。東京銀座に氏のオフィス設計依頼を通し多くの支援を頂くことになった。

06 経営指導

ヤマハの家具事業部の顧問として経営指導を行い、ジェトロ派遣指導員としてスウェーデンではパイン材の有効活用企画、スウェーデン大使館家具事業部指導など、ニュージーランド、デンマークでは貿易振興に携わり活躍した。その後ジェトロから、ジャイカへの紹介を受けタイ、フィリピンでは家具産業育成をジャイカ派遣指導員としてつとめた。さらに長野県森世紀プロジェクト発足親方など、国内外で木工家具職人へデザイン提供や開発研究指導を行う。

07 顔のみえる職人とともに

一緒になって作品を作り上げてきた、神奈川県建具協同組合、森世紀工房、協同組合ウッドワーク、ウッドメイクキタムラ、フォレスト西川。これらの人の協力なしではこの活動、作品を築く事は出来ませんでした。私と職人が作ってきたデザインコレクションを全国の職人にも提供し、林業家と国産材を有効活用して職人の顔が見える仕組みを作っていく。それが私の希望です。

私の想い

デザインの力で森林を蘇らす 私は小さい頃から、大自然とものづくりが好きな子供でした。そしてデザイナーになりたいという夢を実現するときに、人生の中で大きな出会いが3つありました。木工芸名人 三輪 磯松氏、建築家 吉村 順三氏、経営名人 塚原 博氏という、ものづくり、設計、経営の3人の恩師との出会いでした。その中で学んだのは「足を地につけ歩め。作る技術から生まれるアイデア、デザインは本物である。依頼者の気持ちが形に見える。心を掴む提案力を学ぶ。デザインが現物となった表現美の住空間は人を育てる。技術とデザインが歴史を築く。そして人々が大切にしてくれることで作品が独り歩きをし、世界に広がる」という志。「デザインの力で森林を甦らす」それには確かな技術を持った「顔の見える職人」が必要です。歴史が証明している国産材と技術を現代に活かす「日本の木と共に暮らす」をテーマに、都市の巨大リフォーム時代に素晴らしい建材「日本の木」を活用し、流通と生産のシステムを見直し地域の資源を使って地域の人たちで、地域の産業にし日本中の森の付加価値を高め地域を元気にしていきましょう! 小田原 健