ODAWARA TAKESHI

FUUTOUBOKU

「風倒木への仕事」大分・日田杉を生き返らせる職人の技と心意気。小田原 健の国産材を有効活用するにあたり、起点となった風倒木。「倒れても木は生きている。」その木を有効活用しようと職人達と共に立ち上がり、「風が倒した木は、職人が建てていく。」と「風倒木」として蘇らせた。「建てれば、生きてる。風倒木」が日田市の復興の原動力となった。

01 大分県日田市の台風被害

1991年三代杉の一つとして名高い日田杉の産地である大分県日田市が強大な勢力の台風により一夜にして大災害に見舞われた。森林で伐採期を迎えていた300万㎥の日田杉がなぎ倒され、かつてない規模の災害となった。その後の記録的な豪雨による過度な増水で風倒木が川ではなく山から根株ごと下流のダムに一気に流れ込み、約30万本の流木が引き上げられ積み上げられた。

02 木の声が聞こえる

倒れた木が「助けてくれー」と叫ぶ声が聞こえる。木は生きている。「わかった。助けるから」とすぐに行動に移した。しかし、たとえ風倒木であってもデザインと技術力で見事に木を蘇らせる手立てがありながら、国の多額な災害見舞金のため燃やす事を選んだ行政の対応は呆れるものであった。風で倒れたとはいえ、建てたり、作ったりすれば、人に活きる木。木の叫び声が聞こえた職人たちとすべてを角材や板に加工し「風倒木を使ってログハウスを立てる」構想が始まる。

03 風倒木の仕事

東京青山で展示会「風倒木への仕事」展を開催。日田杉ログハウスの家を丸ごと一棟展示し、家具に触り、座り、呼吸して、その素晴らしさを実感してもらうという企画を実施。また、風倒木の現状から、製材、製品化までのビデオ上映。貴重な資源を決して無駄にしないという意志と、風倒木への責任の宣言。その展示会で農林大臣が行政の対応を謝罪し、その後のログハウス数百棟、黒川 哲郎の協力も大きく公共建築30棟建設、杉の下駄4000足作りにつながる。ただし「風倒木」としてのブランドの言葉は二度と使ってはならない。

風倒木の記録